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家族の葛藤 介護で噴出
09/08/10 【その他

家族の葛藤 介護で噴出

 

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「母を東京に連れてこようかと悩んだ時、『見知らぬ土地ではかえってお母さんに酷』と行政の福祉担当者にハッキリ言われて、気持ちが整理できました」

 

「言えないつらさ」伝えたい

作家の姫野カオルコさん(50)は、若いころから親類の介護にかかわり、15年前には父を見送り、今はパーキンソン病の母(85)が暮らす遠方の施設に通っています。

実際のお世話より、子ども時代の暗い記憶が呼び覚まされ、かつての「家族の葛藤(かっとう)」に再び直面させられることがつらいといいます。

 

「何かしなくては」

東京で暮らし、実家のある滋賀に通う身ですから、「介護をしてきた」といえるほどのことをしてきたのではありません。

 ただ、実家は地方の古い家。近くに祖父母や親族が住んでいて、後継ぎだった父は障害のある叔父や病身の伯母を世話していました。そんな関係の延長で、私は東京の大学に進学してからも、親に頼まれ、一人暮らしの病気の親類の家へ定期的に通い、掃除をしたり体をふいたりしていました。

 同級生は大学生活を楽しんでいたけれど、地域のしがらみの中で育った私は、故郷にいない分、東京にいても何かしなくてはという感覚でした。そして、大学を卒業して勤めを始めたころ、今度は父の糖尿病とリウマチが急速に悪化しました。

姫野さんは一人っ子。戦争から戻った父が高齢になってから生まれた。きょうだいのない姫野さんは、父の介護のため、毎月何回も帰郷する日々が10年近くに及んだ。

父は脳梗塞(こうそく)も患い、糖尿で網膜をやられ足も動かなくなりました。車イスに乗せて散歩をし、痛み止めの座薬を投与したり、排せつの世話をしたり。今は便利な使い捨ての手袋があり、ヘルパーさんも助けてくれるけど、当時は家族向けの講習もありませんでした。

 母には、別のためらいがありました。旧陸軍将校でシベリア抑留も経験した父は、今思うと、精神的に病んでいるようなところがありました。家族に威圧的で、関心を示さず、戦時中の夢を見て夜中に叫びだすことがありました。そんな父に抑圧され、母は何でも否定的に考える人になっていました。夫婦仲が冷えた2人だけにしておくことが心配で、私はせっせと滋賀に通いました。

二重の苦しさ

でも、そのころ一番つらかったのは、父の世話ではなく、「やっぱり一人っ子だから両親の近くがいいんだね」と周囲から決めつけられたことでした。「違う、そうじゃない」と言いたいのに、言えない。言っても、「親のことを悪く言うものじゃない」と諭されるのです。

 子ども時代に親から褒められた記憶がなく、「あなたはみっともない」などと否定されていた私は、両親のそばにいるのが苦痛でした。3人だけで会話もなく、息が詰まる思いをする家族旅行ほど嫌なことはなかった。そこから脱したい一心で上京しました。

 でも、胸の奥にあった家族の重い記憶は、親を介護するなかで噴出してきたのです。楽しかった思い出があれば、介護を乗り越える力になるでしょう。でも、私には、そんな思い出がありません。

 介護の負担に、親への複雑な思いが重なって、二重の苦しさを感じるのに、つらいと周りに言えないのです。


 父を見送り、介護から遠ざかった間に、次々と作品を発表した。ところが1998年、一人暮らしをしていた母に認知症の症状が表れた。故郷と毎週往復するなか、自身が体調を崩した。休業の後、自らの経験をもとに、介護と「家族の葛藤」をテーマにした小説を雑誌で連載した。

 元気に暮らしていた母は、悪質セールスにひっかかるようなことが増え、認知症になったことが私にもわかりました。4年前にとてもいいグループホームを見つけたので、預けることにしました。

 私のことはわからなくなったけれど、楽しそうに生活している母を見て安心できました。それが次第にパーキンソン病が進み、グループホームにもいられなくなったのです。東京に連れてこようと考えたけれど、長距離の移動は肉体的には危険と言われ、住み慣れた滋賀に残すことにしました。

 母は今、特別養護老人ホームで暮らしています。母が昔通っていた師範学校のあった、琵琶湖に近い場所でと探し回りました。刺激を与えることが大事と聞き、日帰りで会いに行っては母が暗唱していた「教育勅語」を読んだり、ノドがかれるくらいおしゃべりしたりしています。

 私の具合が悪くなってからは、通う頻度を月1回に減らしました。「そんなに行かなくていいよ」と、私をよく知る友人たちには言われます。母に会うと、しばらくおもしろいエッセーは書けません。昔のことを思い出し、重い気持ちになるからです。

 でも、介護する家族の思いを小説の形で書きながら考えたのは、母もあの頃、病んでいたのだろうということ。そして、家族との楽しい記憶がない人にも、「あなたのつらさをわかってくれる人がきっといる」と伝えたいと思うのです。

 

ひめの・かおるこ 作家。1958年、滋賀県生まれ。1990年に「ひと呼んでミツコ」で単行本デビュー。「受難」「ツ、イ、ラ、ク」「ハルカ・エイティ」が直木賞候補になった。介護をテーマにした小説「もう私のことはわからないのだけれど」を6月、日経BP社から出版した。

◎取材を終えて 「母はもう、いつ緊急連絡が来てもおかしくない状態なんです」。寝たきりの日々を過ごす母を案じていた姫野さん。自身の体調も気遣いながらの遠距離介護は、どれほどの重荷だろうか。「家族の美徳」「家族なら当然」とされてきた日本の介護では、子どもの本音は長く封印されてきた。そうした声にならない声を、体験を踏まえて描き出した姫野さんの新著に、心の奥がうずく人が少なくないだろうと思った。

 

著者名/YOMIURI ONLINE 読売新聞社  家族の葛藤 介護で噴出

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20090809-OYT8T00298.htm

最終アクセス2009年8月10日

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