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中日ドラゴンズのエース川上憲伸元投手

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最終更新日 2024年4月11日

川上憲伸さんは、日本のプロ野球中日ドラゴンズ及びアメリカ大リーグのアトランタ・ブレーブスで、投手として活躍した元プロ野球選手です。
力強い速球にカットボールを駆使し打者を手こずらせ、数々の賞も受賞しています。
日本プロ野球における通算成績は、117勝76敗、防御率は3.24、メジャーリーグでは8勝22敗、防御率4.32の成績でした。

川上憲伸さんの野球人生を振り返る

川上憲伸さんの野球人生を振り返ると、徳島商業高校時代に甲子園出場を果たしていますが、全国的な知名度はそれほど高くはありませんでした。
しかし、明治大学に進学すると東京6大学野球では優勝に貢献するようになると、その名がいっきに知れ渡るようになっていきます。
リーグ通算成績は、28勝15敗、防御率2.14でした。
それと共に311奪三振、ベストナイン3回を受賞しています。

川上憲伸さん自ら逆指名したドラフト

1997年度ドラフト会議において中日ドラゴンズに単独1位指名を受けプロ入りしますが、話題となったのは川上憲伸さん自ら逆指名したことです。
プロ1年目から1軍の先発入りを果たし、14勝6敗という好成績を残して新人王を受賞します。
大学時代からのライバルであった高橋由伸元選手を抑えての受賞でありました。
翌1999年シリーズでは開幕投手を務め、チームのリーグ優勝に貢献します。
そして、迎えた初の日本シリーズでは、チーム唯一の勝ち星を挙げ、敢闘賞に選ばれます。

急性感音性難聴を患ったシーズン3年目

ところが、3年目のシーズンを迎えたとき、急性感音性難聴を患ったこともあって2勝3敗に低迷します。
2001年シーズンも不調が続くのですが、2002年シーズンには復調し、70人目のノーヒットノーランを達成します。
2004年シーズンに入ると、彼自身最も輝いた年となります。
監督が変わり、開幕投手こそ逃しましたが、チームのリーグ優勝に貢献し、リーグ最優秀選手や沢村賞、最多勝など実に9つものタイトルを獲得します。

アトランタ・ブレーブスと3年契約を結ぶ

2009年には海外FA権を行使し、アトランタ・ブレーブスと3年契約を結びます。
4月11日のワシントン・ナショナルズ戦でのメジャー初登板では、6回を4安打3失点8奪三振で初勝利をあげます。
ただ、チームの得点力不足から勝ち星には恵まれず、シーズン後半にはリリーフに回り、防御率2.63と好投します。

まとめ

ブレーブスとの3年契約を終えた2012年に、再び中日ドラゴンズに復帰します。
ただ怪我に苦しみ、満足のいく成績をあげることができず、2015年に現役を引退、現在は野球解説者として活躍しています。

 

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